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東京地方裁判所 昭和47年(行ウ)155号 判決

原告 三上富三郎

補助参加人 三部外志秋 外三一二名

被告 世田谷区長 外二名

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

1  被告世田谷区長は、東京都世田谷区経堂三丁目二二番地から同区船橋五丁目二〇番地に至る道路を開設するための用地を買収してはならない。

2  被告佐野保房及び同高橋進は、世田谷区に対し各自一億二七九四万三一〇八円及び被告佐野保房についてはこれに対する昭和四七年一一月七日から、被告高橋進についてはこれに対する同月八日から、各完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  第2項について仮執行の宣言

二  被告

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告は肩書地に居住する世田谷区の住民であり、被告佐野保房は昭和五〇年四月二七日まで世田谷区長の職にあつた者であり、また、被告高橋進は昭和四〇年四月一日から同四四年三月三一日までは同区土木部長、同年四月一日から同五〇年六月一六日までは同区助役の職にあつた者である。

2  被告佐野保房は、世田谷区長として、世田谷区経堂三丁目二二番地から同区船橋五丁目二〇番地に至る幅員約一一メートルの道路(特別区道。以下「本件計画道路」という。)の開設を計画し、昭和四一年六月頃から右計画道路の用地の買収を始め、同四六年四月までの間に、用地買収費として訴外松原忠外三名に対し二四四一万一二九八円、用地買収に伴う借地権の消滅に対する補償費として訴外鈴木正文外九名に対し三九八八万七〇六一円、用地買収に伴う建物等の移転に対する補償費として訴外鈴木正文外一三名に対し六三六四万四七四九円、以上合計一億二七九四万三一〇八円を世田谷区の公金のうちから支出した。

被告高橋進は、世田谷区の土木部長又は助役として、本件計画道路開設の計画と実施に当初からたずさわり、被告佐野保房とともに、右用地等の買収及び公金の支出を積極的に進めてきたものである。

3  しかしながら、本件計画道路の開設は以下の(一)ないし(五)の理由により違法であるから、右違法な道路の開設を目的とする用地買収及びその買収のためにした前記公金の支出もまた違法である。

(一) 本件計画道路は特別区道であるから、その開設については地方自治法二八三条二項の規定により道路法に定める市町村道に関する規定の適用を受ける。したがつて、本件計画道路を開設するには、区長が、まず区議会の議決を経たうえで路線を認定し(道路法八条一、二項)、その認定した路線名等を公示し(同法九条)、次に道路の区域を決定してこれを公示した(同法一八条一項)うえで、その敷地上に所有権その他の権原を取得して必要な工事を行ない、最後に区長が道路の供用を開始する(同法一八条二項)という一連の手続を経ることが必要とされる。すなわち、同法は、道路の開設がその敷地内の土地の権利者及び付近住民の権利、利益に重大な影響を与えるものであることから、用地取得の前に路線認定の事実と道路の区域を一般に公表して、これに不服がある者に対し争訟の機会を保障し、また、道路の開設に住民の意思が十分反映されるよう路線認定に先立つて議会の議決がなされることを要求しているのであり、右争訟により路線認定又は道路区域の決定が取り消されることもあり、また、議会において道路の開設が承認されないこともありうることを予定しているものと解される。そうであるからこそ、議会の議決、路線認定の公示、道路区域の決定の公示とその縦覧という制度をとつているのである。したがつて、道路用地の買収は、議会の議決、路線認定及び道路区域の決定を経た後でなければすることができないものというべきである。しかるに、本件においては、区議会の議決はもちろんのこと、路線の認定も道路区域の決定もなされていないうちから、道路用地の買収をして道路開設を始めているのであり、道路法の定める手続を履践していない違法がある。

そもそも、本件用地買収の当初においては、道路開設の具体的な計画すら存在していなかつたのであるが、昭和四〇年頃、地元の有力者であつた訴外鈴木某が、その借地について地主と紛争をおこしたため、世田谷区に対し自己の所有家屋及び借地権を買い取るように働きかけ、区がこれを買い取つたことに端を発し、右の買収を契機として、その必要もない本件計画道路の開設が急きよ具体化され、その実現が強引に押し進められてきたのである。このような事情であつたので、本件用地買収の前には、区議会の議決等法定の手続がなされるはずもなかつた。

なお、後記被告らの主張のとおり、本訴提起後である昭和四八年一一月三〇日に至り世田谷区議会の議決がなされ、世田谷区長が同五〇年四月二六日路線認定をしたうえ道路区域の決定をしたことは認めるが、これらはすべて前記買収後のことであるばかりでなく、右議会の議決は、被告佐野保房、同高橋進が本訴でその責任を追及されたため、同被告らの保身を目的として審議を尽くさず強行されたものであるから、それ自体違法であつて、それゆえ、その後になされた路線認定及び道路区域の決定もまた違法であり、結局、これらによつて前記道路法違反の瑕疵を治癒することはできない。

(二) 道路法二九条は、「道路の構造は、当該道路の存する地域の地形、地質、気象その他の状況及び当該道路の交通状況を考慮し、通常の衝撃に対して安全なものであるとともに、安全かつ円滑な交通を確保することができるものでなければならない。」と規定している。ところが、本件計画道路の周囲には、甲州街道、環状七号線、世田谷通り、環状八号線といつた幹線道路があつて、本件計画道路が開通すれば、右幹線道路から無数の車両が本件計画道路に殺到してくることは明白であり、構造上到底こなしきれない交通量に達し安全性の点から問題がある。また、本件計画道路の北端は、東西に通じる赤堤通りと東南から北西に通じるすずらん通りとの交差点となつており、本件計画道路が開通すると、同所は変形交差点となつて、安全かつ円滑な交通を確保することができないものともなる。

更に、道路法三〇条の規定に基づく道路構造令によれば、設計速度が四〇キロメートルとされている本件計画道路については、車線の中心線上一・二メートルの高さから当該車線の中心線上にある高さ一〇センチメートルの物の頂点を見とおすことができる距離を当該車線の中心線に沿つて計つた長さ(以下「視距」という。)は四〇メートル以上なければならないものと定められている(同令一九条)。ところが、本件計画道路の南端から右道路に沿つて約一〇〇メートル北上した地点までは昇り坂となつており、その高低差は約三・九メートルにもなるうえ、右昇り坂の上下両端はいずれも東西に通じる道路と交差している関係で、右両交差点の取付部分では、車両が容易に停止及び発進をすることができるように、それぞれ三九メートル以上にわたり縦断勾配を二・五パーセント以下にとどめることが必要とされている。それゆえ、右両交差点間の残りの部分は勾配が一〇パーセントにも達する急角度の坂道とならざるをえず、前記法定の視距は全く得られないこととなる。

以上のとおり、本件計画道路は、道路法二九条及び道路構造令の定める構造上の基準に適合しないものであるから、かかる道路を開設することは違法である。

(三) 本件計画道路の付近は、第一種住居専用地域に指定され、緑多い閑静な低層住宅と恵泉女学園、経堂小学校、カノツサ幼稚園、区立保育園があり、都内でも数少ない環境に恵まれた住宅、文教地区である。付近の道路は、ほとんどが幅員四ないし六メートルのものであるが、付近住民にとつて日常生活にはそれで十分であつて、その大部分は時速二〇ないし三〇キロメートルの速度制限があり、一部の道路には一方通行の規制もなされており、そのうえ、これらの道路は曲折しているため車両は高速度で走行することができず、交通事故もほとんどない。現に昭和四八年には人身事故としては三件発生しただけで、それらはいずれも軽傷のものであつた。また、火災が発生したとしても、消防自動車の通行にはなんらの支障もなく、円滑な消火活動を行ないうるのであつて、このことは、昭和四八年五月二八日の火災の際に実証済みである。本件計画道路の付近住民は、右のとおり、きわめて良好な生活環境を享受しているのである。

しかるに、本件計画道路は、カノツサ幼稚園と経堂三丁目とを結ぶ直線コースをとり、その北端は赤堤通りとすずらん通りとの交差点となつており、赤堤通りは北上して甲州街道に通じており、すずらん通りは西進して環状八号線に通じている。また本件計画道路の南端から南下している道路は、城山通り、千歳通り、世田谷通りに通じている。したがつて、本件計画道路が、甲州街道と世田谷通りとの間及び赤堤方面からの赤堤通りと世田谷通りとの間の車の流れをよくするためのいわゆる通過型道路であることは、明白である。したがつて、もし本件計画道路が開通することになれば、交通量が飛躍的に増大し、そのため交通事故が増加し、また、排気ガスによる大気汚染、騒音、振動が発生することも確実であつて、良好な生活環境を破壊し、また、付近住民の生命、身体に危険を与えることにもなる。そもそも、現代社会においては、車のための道路建設という「車優先」の古い価値観から「人間優先」の土木行政へと発想の転換が求められていることを考えるならば、右のように、付近住民には被害を与えるのみでなんらの利益をももたらさず、その犠牲において車の便益だけを図ることは許されないといわなければならない。

以上のとおりであるから、本件計画道路の開設は付近住民の基本的人権の一つである良い環境を享受する権利を侵害する違法があり、憲法二五条、一三条に基礎を置く生存権的環境権に基づいてその差止請求が認められるべきである。

(四) 本件計画道路の立案、実施は、当初から世田谷区の付近住民に対する一方的な押しつけであつた。すなわち、昭和四一年六月に付近住民に対する説明会が開かれたが、これは既定方針を説明するだけの形式的なものにすぎず、右説明会に出席した住民からは疑問や反対の声があがり、以来、付近住民の大多数は、同年一二月に本件計画道路建設反対の陳情書を区長及び区議会議長に提出したことを手始めに署名、陳情等種々の反対運動を行ない、昭和四三年九月一二日には反対運動を進める住民の組織として恵泉裏道路対策協議会を結成し、昭和四七年五月二五日から原告が右協議会の会長となつている。しかしながら、世田谷区当局は、右住民多数の声を無視し、その切実な要望に対して誠意ある態度を示すことなく、本件計画道路の実現を強行してきたものであつて、かかるやり方は地方自治の基本たる住民参加尊重の精神を完全に欠如しているといわなければならない。

また、地方公共団体は、地域住民の生活、健康、福祉の増進のために事業を行ない、よい生活環境を保持すべき義務を負うものであるから、本件のような道路の開設にあたつては、憲法二五条、公害対策基本法三条、四条、五条、地方自治法二条等の規定により、事前に生活環境に対する影響を科学的専門的に調査研究し、最善の対策を計画化し、これを公開したうえ住民に参加させてその了承を得、更に、それでもなお被害を被るべき住民については個別的にその同意を得ることが必要とされる。しかるに、本件においては、右のいわゆる環境アセスメントもなんら行なわれていないのである。

以上の点において本件計画道路の開設は違法である。

(四) 本件計画道路の予定地内には学校法人恵泉女学園(恵泉女学園中学校、同高等学校、同短期大学の三学園で構成されている。)の敷地の一部六六〇平方メートルが含まれており、右道路を完成させるためには、恵泉女学園の右敷地六六〇平方メートルを削り取らなければならない。

ところで、昭和三〇年一一月八日大学設置審議会により定められた「短期大学設置審査内規」によれば、短期大学の校地面積は校舎延面積の五倍必要であるとされている。また、高等学校設置基準(昭和二三年一月二七日文部省令第一号)によると、高等学校の校地面積は生徒一人当たり最低七〇平方メートル必要とされ、中学校については、基準はないが高等学校に準じている。これを恵泉女学園にあてはめると、短期大学の校舎延面積は二四七五平方メートルであるから、必要な校地面積は一万二三七五平方メートルとなる。また、高等学校の生徒の定数は六七五名であるから、その必要な校地面積は四万七二五〇平方メートルとなり、中学校の生徒定数は四〇〇名であるから、その校地面積は二万八〇〇〇平方メートル必要である。以上を合計した八万七六二五平方メートルの敷地を恵泉女学園は必要としている。しかるに、恵泉女学園の敷地総面積は、現在、校庭、テニスコート、寄宿舎等すべてを合わせても二万二二二九平方メートルしかなく、これは右に述べた必要とされる敷地面積の約四分の一にすぎない。それにもかかわらず恵泉女学園が現状のままで存在しているのは、右学園が古く昭和四年に創立されたものであるので、前記内規等が制定されてからも、特別にその存続が認められてきたことによるのである。

以上のとおりであるから、恵泉女学園としては、その敷地を一平方メートルといえども削ることはできないのであり、他方、本件計画道路を右敷地を避けて開設することも地域の形状からして不可能であるから、結局、本件計画道路は客観的に実現が不可能なものである。

4  以上のとおり、本件計画道路の開設が違法である以上、そのためにする用地の買収も違法となることを免れないのであるから、右買収を共同して進めた被告佐野保房及び同高橋進はその代金相当の公金一億二七九四万三一〇八円を違法に支出し、世田谷区に同額の損害を与えたものというべきであり(限られた区財政のなかから本来なすべからざる支出をしたことによる区財政の減少それ自体を損害としてとらえるべきである。)、また、被告世田谷区長は本訴提起後も用地買収を行なつていることに徴すれば、今後もなお違法な用地買収を継続することが相当の確実さをもつて予想され、それによつて世田谷区に回復困難な損害を生じさせるおそれがある。

5  原告は、前記の違法な買収及び公金の支出につき昭和四七年七月二一日世田谷区監査委員に対し住民監査請求をしたが、同監査委員は右請求があつた日から六〇日を経過しても監査又は勧告を行なわなかつた。

6  よつて、原告は、被告世田谷区長に対しては地方自治法二四二条の二第一項一号の規定に基づき買収の差止めを請求し、被告佐野保房及び同高橋進に対しては同項四号の規定に基づき世田谷区に代位して前記損害を同区に賠償すべきことを請求する。

二  請求原因に対する被告らの認否及び主張

1  請求原因1、2の各事実は認める。

世田谷区は、特別区道として世田谷通りから分岐して経堂三丁目までで行き止まりとなつていた幅員一一メートルの道路を、更に赤堤通りとすずらん通りが交差する船橋五丁目まで延長することを計画し、昭和三九年頃からその準備を始めた。これが本件計画道路であるが、世田谷区では、昭和四〇年一〇月からその説明会をたびたび開催し、同年一一月一一日関係土地所有者の承諾を得て現況測量を開始したところ、その頃から、土地の買収を申し出る者があらわれたので、本件計画道路の敷地内のものを買収することとし、まず同四一年三月二三日訴外松原忠からその所有地を買収し、順次買収を進めたものである。

2  同3冒頭の主張は争う。

(一) 同3(一)について

本件計画道路が特別区道であること、本件用地買収を開始する前には区議会の議決、路線認定及び道路区域の決定がなされていなかつたことは認める。しかし、道路用地に対する権原を取得するには、その前提としてあらかじめ路線認定及び道路区域の決定がされていることを必要とするものではない。原告が援用する道路法八条、九条の規定も、用地に対する権原取得の前提行為として路線認定や道路区域の決定を要求しているものではなく、他に路線認定及び道路区域の決定をした後でなければ用地買収をしてはならない旨を定めた法令の規定はない。路線認定及び道路区域の決定をする前に道路用地に対する権原を取得することは、実務上「公共用地の先行取得」と呼ばれ、地価上昇による事業費の圧迫を防止し、かつ、事業目的を可及的すみやかに達成するため、広く地方公共団体一般で行なわれているところである。なお、本件計画道路については、昭和四八年一一月三〇日に路線認定につき世田谷区議会の議決がなされ、世田谷区長は、同五〇年四月二六日路線認定をしたうえ道路区域の決定をした。

(二) 同3(二)について

本件計画道路と付近道路との位置関係は認めるが、その余の事実は争う。

道路法二九条にいう「道路の構造」は、敷地についての権原取得を完了し、道路設計を行なつたうえ、それに基づいて必要な工事を施行してはじめて問題となる事柄である。本件は、いまだ用地買収が進行中の段階であり、道路構造の具体的設計は今後の問題であるから、原告の主張は失当である。原告は、本件計画道路の一部に勾配が一〇パーセントにもなる坂道ができると主張するが、世田谷区はかかる道路を建設する予定はなく、敷地に高低差があれば、設計工事において道路構造令の定める縦断勾配に適合するように高地を削つたり、低地に土盛りをしたりすることになるのは当然である。

(三) 同3(三)について

主張の趣旨は争う。

本件計画道路が開通すれば、地域交通の円滑な処理と周辺環境の整備が促進され、また、火災や震災が発生したときの防災活動がより円滑に行なわれることにもなるから、右道路は周辺地域と付近住民にとつて必要かつ有益なものである。本件計画道路付近の現状は、幅員四ないし六メートルの狭隘な道路が網の目状に交錯しており、そのため付近を通過する車両により住民の身体、生命の安全に危険が生じており、また、ゴミ収集車や消防自動車の出入りも困難な状態である。本件計画道路が開通すれば、右の状態は解消するのであるから、右道路は、付近住民の利益にこそなれ、不利益になることはない。

原告は、本件計画道路の開通によつて付近の生活環境が破壊されると主張するが、なんら実証的データに基づかない誇張した言い方である。すなわち、本件計画道路が開通した場合、その車両の交通量は、右道路が接続することになる赤堤通り及び城山通りと概ね似たものになると考えられる(昭和四八年当時の一日の交通量は、赤堤通りが一万一五六〇台、城山通りが一万〇八九〇台である。)ところ、現在まで赤堤通り及び城山通りの付近住民は一人も交通事故、大気汚染、騒音、振動等の被害を訴えていない。また、本件計画道路は、車道の幅員を六メートル、二車線とし、両側にそれぞれ幅員二・五メートルの歩道を設置し、設計速度を四〇キロメートル以下とする予定であつて、更に、道路開通後も、できる限り通過交通を排除するため、時間による交通規制や一方通行の規制を行ない、かつ、沿線の環境を良好に保持するため街路樹の植栽と沿線空地の緑化をも計画している。以上のとおりであるから、本件計画道路が開通すれば付近の生活環境が破壊されるという原告の主張はあたらない。

(四) 同3(四)について

昭和四一年一二月、住民の一部から区長及び区議会議長に対し本件計画道路建設反対の陳情書が提出されたことは認めるが、世田谷区が付近住民の意向を無視して本件計画道路の立案、実施を一方的に強行したとの点は争う。世田谷区は、昭和四〇年一〇月から本件計画道路の説明会を幾度となく開催し、道路用地の権利者の同意を得て本件買収を進めていつたものである。

また、原告が援用する公害対策基本法三条、四条、五条、地方自治法二条は、いずれもいわゆる環境アセスメントの手続を定めたものではなく、他に道路開設に際しいわゆる環境アセスメントの手続を要求している法令も存しない。したがつて、被告らにいわゆる環境アセスメントの手続を履践する法的義務はない。

(五) 同3(五)について

恵泉学園の総敷地面積が、原告のいう内規等の定める基準の四分の一程度であるとしても、本訴が提起されるまでは、世田谷区と恵泉女学園との間で、本件計画道路予定地に含まれる六六〇平方メートルの学園敷地の任意買収について話合いが行なわれていたのであり、これがまとまる限り、右道路の実現が不可能であるということはない。前記内規等は、世田谷区が将来、右学園の敷地を強制的に取得するという手段をとるに至り、その強制取得の適否を論ずる際にはじめて問題となるのである。

3  同4について

本件の用地買収のため原告主張の額の公金が支出されたこと、被告世田谷区長が本訴提起後も用地買収を行なつていることは認めるが、右買収により世田谷区に損害が生じたこと及び将来回復困難な損害が生じるおそれがあることは争う。

世田谷区は、道路用地と右用地上の借地権については世田谷区財産評価委員会が定めた金額により、また、右用地上の建物等については東京都が定めた補償基準に従つて算定した金額により、これらを買収したのであるが、右買収価格は土地、借地権、建物等が買収時点で有していた客観的な取引価額に相当するものであつた。したがつて、世田谷区は適正な対価によつて借地権等の制約がない土地所有権を取得したのであるから、同区には右買収によりなんらの損害も生じていない。また、今後も、右同様の基準で用地等の買収を進める予定であるから、将来においてもなんら損害を生じるおそれはない。

4  同5の事実は認める。

5  被告高橋進に対する請求は、次の理由からも失当である。

地方自治法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」とは、自らの固有の職務権限に基づいて地方公共団体の事務を処理する者をいい、他人がその固有の職務権限に基づき当該事務を処理するに際し単にこれを補助すべき地位にある者を含まないというべきである。本件において、被告高橋進は、被告佐野保房が世田谷区長としての権限に基づいてした土地買収を補助したものにすぎず、自らの固有の権限に基づいてこれに関与したわけではないから、右述の「当該職員」にあたらない。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1、2の各事実は、当事者間に争いがない。

被告高橋進は、同被告が本訴の被告適格を有していない旨主張するが、原告主張の事実関係を前提とする限り、世田谷区が同被告に対して損害賠償請求権を有することは明らかであり、世田谷区がこの権利を適切に行使しないときは、同被告は地方自治法二四二条の二第一項四号の規定にいう「怠る事実に係る相手方」として住民訴訟の被告となるのであつて、本訴の同被告に対する請求もこの趣旨のものと解される。したがつて、同被告には被告適格において欠けるところはない。

二  そこで、本件の用地買収及び公金支出の基因となつた本件計画道路の開設が違法であるとの原告の主張について順次検討する。

1  請求原因3(一)の主張について

本件計画道路が特別区道であること、その道路用地として本件買収を開始する前には、右道路の路線認定についての世田谷区議会の議決、世田谷区長の路線認定及び道路区域の決定(道路法八条、九条、一八条)がいずれもなされていなかつたことは、当事者間に争いがない。

しかしながら、右道路法の定める手続は、道路法上の道路を成立せしめるための要件であるにとどまり、当該道路開設のためにその用地に対する権原を取得するについての要件をなすものではない。確かに、道路用地として買収をした後に、路線認定について議会の議決が得られない等の事情により道路を開設することができなくなつたときは、先の用地取得は無駄なものに帰するおそれがありうるが、その点は行政の責任における見通しの問題であり、右のようなおそれがありうることのゆえに、前記の手続の履践前には道路用地を先行的に取得することまでも一切許さないとするのが道路法の趣旨であるとは解されない。そして、本件においては、係争の用地買収が開始された後である昭和四八年一一月三〇日に路線認定について世田谷区議会の議決がなされ、同五〇年四月二六日世田谷区長が路線認定をしたうえ道路区域の決定をしたことは、当事者間に争いのないところである(右区議会の議決が違法であるとの原告の主張を認めるに足りる証拠はない。)。

したがつて、右と異なる見地に立つて本件の道路開設の手続違反をいう原告の主張は理由がない。

2  同3(二)の主張について

本件計画道路と付近道路との位置関係については当事者間に争いがない。この位置関係からすると、右道路が開通した場合に相当数の車両の通行が予想されることは後記のとおりであるが、右道路の構造がこの車両の通行に耐えうるものであるかどうかは、今後の具体的な設計、工事をまたなければ決しがたいことであり、現段階において既に右道路が道路法二九条の定める構造上の安全性を欠くことになると認めるべき証拠はない。また、本件道路の北端が赤堤通りとすずらん通りとの交差点になつており、これに本件計画道路が接続すると、三本の道路による変形交差点が現出するとしても、そのことによつて直ちに右法条にいう「安全かつ円滑な交通を確保すること」ができなくなるものとも認められない。

更に、証人大本士行の証言及び検証の結果によれば、本件計画道路の南端から右道路に沿つて約一〇〇メートル北上した地点までは昇り坂となつており、その高低差が約四メートルであること、右昇り坂の上下両端においてはいずれも東西に通じる道路と交差していることが認められる。原告は、かかる地形からすれば本件計画道路について道路構造令で定める視距を確保することは不可能であると主張するが、現在はまだ具体的な工事の設計すらされていないのであるから、右道路の築造にあたり工事上可能な通常の技術的方法(例えば盛土又は削土等)を用いても法令違反の構造となることが必至であると断定することは相当でない。

この点の原告の主張は、採用することができない。

3  同3(三)の主張について

証人戸井正典、同大本士行の各証言、被告高橋進本人尋問の結果と検証の結果に弁論の全趣旨を総合すれば、本件計画道路の付近は、第一種住居専用地域に指定された緑多い閑静な住宅地で、低層住宅と恵泉女学園、経堂小学校、カノツサ幼稚園、区立保育園等があること、付近一帯は幅員四ないし六メートルの道路が網の目状に交錯しており、右道路の大部分は時速二〇ないし三〇キロメートルの速度制限があつて、その一部には一方通行の規制もなされていること、このため、従来は交通事故はほとんど起らなかつたこと、本件計画道路は住宅地のなかを直線で貫通するものであり、計画どおりに築造するとすれば原告を含む一部住民の家屋やその敷地を削り取ることになること、右道路は幅員一一メートルで、車道は六メートル、二車線とする計画であり、その北端は、前記のとおり赤堤通りとすずらん通りとの交差点になつているが、赤堤通りは東進して甲州街道や環状七号線に通じており、すずらん通りは西進して環状八号線に通じていること、本件計画道路の南端から南下している道路は城山通り、千歳通り、世田谷通りに通じていること、したがつて、本件計画道路が開通すると、甲州街道―赤堤通り―本件計画道路―城山通り・千歳通り・世田谷通り、環状七号線―赤堤通り―本件計画道路―城山通り・千歳通り・世田谷通り、環状八号線―すずらん通り―本件計画道路―城山通り・千歳通り・世田谷通りといつた各経路の運行が可能となるため、現状における本件買収用地付近の交通量とは比較にならぬほど多くの車両が本件計画道路を通行するようになり、その一日当たりの交通量を正確に予測することは困難であるが、世田谷区当局の推定によつても五〇〇〇台を下らぬものと見込まれていること、が認められ、これに反する証拠はない。

以上の事実によれば、本件計画道路が開通したときは、それによつて被告ら主張のような利便がもたらされることがあるとしても、その反面、多数の車両通行に伴つて必然的に騒音、振動、排気ガス等が発生し、更には交通事故の危険も増大するのであり、付近住民が従来享受してきた閑静な生活環境になんらかの悪影響が及ぶおそれのあることは、否定することができない。

ところで、右認定のような条件のもとにおいて道路を開設しようとする場合には、住民の生活環境に及ぼす影響をも勘案して、その開設の必要性につき慎重な検討を尽くすとともに、開設後において生じる右生活環境への影響を可及的に防止すべく、道路の構造や交通規制その他について適切な配慮をすることが必要であることは、いうまでもない。しかし、これらのことは、事柄の性質上、ある程度長期的見通しのもとに、複雑に関連しあう諸要因を総合して、高度の政策的見地から決定されなければならないことである。そうであるとすれば、当該状況下で道路を開設するかどうか、また、その道路をどのような構造とするか等の決定については、関係行政当局の合理的な判断に基づく広汎な裁量に委ねるほかないのであつて、これを法的見地から違法と評価しうるのは、その決定に行政当局の責任ある判断として尊重するに価しないほどの顕著な過誤ないし不合理のあることが明らかであるというような、例外的な場合に限られるものというべきである。

このような観点から本件をみると、本件計画道路の開設によつて付近住民の生活環境に悪影響が及ぶおそれのあることは前認定のとおりであるが、それの防止・軽減のためになすべき行政上の施策は今後の課題として残されているところであり、それを実施してもなお、将来、右道路の開設によつて付近住民の被る環境被害の程度が受忍の限度を超えるものに達するであろうことを確実かつ具体的に予測しうるだけの証拠はない。してみると、現段階における一般的・概括的な環境予測を根拠として、直ちに、本件計画道路開設の決定に前述した顕著な過誤ないし不合理があるものとし、右道路開設を違法と断ずることはできないというべきである。

なお、原告は、そのいわゆる生存権的環境権に基づく差止請求についても言及するところがあるが、本訴は地方自治法二四二条の二所定の住民訴訟であるから、右差止請求はもとより採用の限りではない。

原告の主張は理由がないというべきである。

4  同3(四)の主張について

成立に争いのない甲第一、第二号証、第三号証の一、第一〇、第一一、第一五、第一九、第二五、第七二、第七五、第七六号証、第八一ないし第八五号証(第七五、第七六号証、第八二ないし第八五号証については、その原本の存在並びに成立も争いがない。)、証人戸井正典の証言により真正に成立したものと認められる甲第九号証、第一二ないし第一四号証、第一六、第一八号証、第二〇ないし第二四号証、第二六号証、原告本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる甲第二九号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第三二号証、被告高橋進本人尋問の結果により真正に成立したものと認められる乙第一六号証、証人戸井正典、同大本士行、同宇都宮信哉の各証言、原告及び被告高橋進の各本人尋問の結果を総合すると、本件計画道路は、昭和二年に都市計画において定められた旧補助二三号線を基礎として立案され、昭和四一年三月当時には既に、世田谷区経堂三丁目二二番地から北上して赤堤通りに通じる道路の開設が計画されていたこと、しかし、世田谷区当局は、右立案、計画の段階では、関係住民にこれを知らせて意見を聞いたりすることは一切せず、本格的に用地買収にとりかかつた昭和四一年六月頃にはじめて本件計画道路についての付近住民に対する説明会を区土木計画課長ら出席のもとで開催したが、住民からは一方的押しつけとして受け取られたこと、右説明会を契機として、付近住民から本件計画道路に対する反対の声があがり、昭和四一年一二月には世田谷区長及び同区議会議長に対し道路建設反対の陳情書が提出されたこと(右陳情書提出の事実は当事者間に争いがない。)、世田谷区はその後昭和四二年六月及び同四三年四月に付近住民に対しブロツク別の説明会を開催したこと、昭和四三年九月一二日反対運動を進める住民の組織として恵泉裏道路対策協議会が結成され、以来、右協議会が中心となつて世田谷区当局等に対して活発な反対運動を展開し、その間、世田谷区議会においても右反対運動に同調する立場からの質疑が何度かなされたりしたが、区当局は既定の計画どおりに進める態度を変えなかつたので、区側に誠意がみられないとして反対運動がいつそう強化されたこと、原告ほか十余名は、昭和五〇年五月二七日本件計画道路について世田谷区長のした路線認定及び道路区域の決定に対して異議申立の手続をしたこと、以上のような住民の反対運動の理由としては、道路開設による環境破壊ということも主張されていたが、これに対し、世田谷区当局は、計画立案の段階からこれまでにおいて、本件計画道路の開通が住民の生活環境に及ぼす影響の程度等につき科学的、専門的見地からの調査や測定を実施したことはないこと、が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、本件のように住宅地内に道路を開設する場合には、できるだけ付近住民の意向を聞きこれを計画に反映させるようにするとともに、右開設による付近の生活環境上の影響について慎重な事前調査を尽くすことが一般的には望ましいところである。しかしながら、具体的事案においてこの点をどのようにするかは、それぞれの事情に応じて行政当局が自主的に決定すべきことであつて、法令に格別の定めのない限り、右の過程を経ることが常に道路開設についての行政当局の法的義務であるとまで解することは、相当でない(原告が主張する憲法二五条、公害対策基本法三条、四条、五条、地方自治法二条の各規定も、右法的義務を認める根拠となるものではない。)。したがつて、前認定の事実関係によれば、本件道路の開設につき原告の主張するいわゆる住民参加又は環境アセスメント等の点において十分でないところがあつたとしても、それだけでは右道路開設を違法とすることはできないものというべきである。

原告の主張は失当というほかはない。

5  同3(五)の主張について

本件計画道路の予定地内に学校法人恵泉女学園(恵泉女学園中学校、同高等学校、同短期大学の三学園で構成されている)の敷地の一部六六〇平方メートルが含まれていることは、当事者間に争いがない。そして、証人宇都宮信哉の証言によれば、右恵泉女学園の在学生は、短期大学が約三〇〇名、高等学校が約七〇〇名、中学校が約四〇〇名であり、敷地総面積は約二万二〇〇〇平方メートルであることが認められるところ、右在学生数を基礎として、学校教育法に基づく短期大学設置基準(昭和五〇年四月二八日文部省令第二一号)二六条及び高等学校設置基準(昭和二三年一月二七日文部省令第一号)一七条により必要とされる校地面積を計算すると、短期大学につき約一万一〇〇〇平方メートル以上、高等学校につき約四万九〇〇〇平方メートル以上となる(右の短期大学の所要校地面積は、文部大臣が短期大学の設置の認可をする場合の諮問機関である大学設置審議会における内部的な取扱いの基準を定めた短期大学設置審査内規に基づいて原告の主張する所要校地面積と大差がない。)。したがつて、校地面積につき格別の基準が法定されていない中学校を含めないとしても、現在の恵泉女学園の総敷地面積は設置基準を大幅に下まわつているのであり、これから更に六六〇平方メートルを減ずることが学校教育上の見地から好ましくないものであることは、明らかである。

しかしながら、証人宇都宮信哉の証言によれば、本件計画道路開設の話が出た当初の頃、世田谷区と恵泉女学園との間においては、同女学園が道路敷地に含まれる校地部分を区に売却し、区が同女学園のために付近代替地の取得に協力するという趣旨の交渉がなされ、同女学園では相当額の資金を用意したりした事実が認められるのであつて、このような経緯に照らすと、その後の土地事情等の変化はあるにせよ、現在でもなお、世田谷区が相当の代替地を提供する等の方法によつて同女学園の従来の校地水準をおおむね維持しつつ、同女学園から必要最小限度の道路用地を取得することが、客観的に全く望みえなくなつたわけではないと考えられる。また、予定どおりの面積の買収が困難であるとしても、今後道路開設を進める過程において道路の位置、構造等につき適当な手直しや調整をする余地もありうるのである。

結局、恵泉女学園の敷地は一平方メートルたりとも削り取ることができないから本件道路の開設は不可能であるとの原告の主張は、採用することができない。

三  以上によれば、本件計画道路の開設に原告主張の違法はなく、したがつてまた、右開設のための本件用地買収及び公金の支出にも違法は存しないというべきである。

よつて、原告の本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないから、これを棄却し、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 佐藤繁 中根勝士 菊池洋一)

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